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国道43号線はできた当時は何車線だったでしょう?【西宮クイズ】

しゃちょう@にしつー

これがわかれば西宮通(つー)が証明される「西宮クイズ」のコーナー。
今回のクイズはこちら↓

Q .国道43号線はできた当時は何車線だったでしょう?

a.4車線
b.6車線(現在と同じ)
c.8車線
d.10車線

にしつー正答率33%

 

 

 

 

 

 

 

 

正解はdの「10車線」です。

情報元は阪神甲子園球場の甲子園球場の国道43号線の高架下の壁にある「国道43号線歴史写真館」です。

昭和21年に計画決定されたらしい

昭和21年に計画されたようです。

開通したのは、昭和38年に尼崎市から神戸市灘区の18.2kmの区間とのこと。

当時は10車線(片側5車線)でスタートしたようです。

なお、調べたところ、現在10車線の道路は日本国内では存在しないようです。

現在、最大で8車線が大阪の御堂筋線の一部区間で存在します。

現在の6車線の前は8車線だった

10車線化は高度経済成長時に必要不可欠だったのですが、環境が悪化したため、昭和57年に8車線になったようです。

そのときに騒音を軽減させる策として片側車線を緑地帯に変更となりました。

そして平成10年に現在の6車線となりました。理由は阪神高速5号湾岸線の開通により交通量が減ったためとのことです。

建設当時は第2阪神国道と呼ばれていた

国道43号線の建設当時は「第2阪神国道」と呼ばれていたようで、「二国(にこく)」という呼称だったようです。

さかのぼると、昭和元年に開通した阪神国道(国道2号線)が「阪国(はんこく)」と呼ばれていたという。

そこで、2つ目の阪神国道ができるため「第2阪神国道」となったようです。

じゃあなぜ、阪神国道という呼び方が、国道2号線や国道43号線になったかというと、昭和27年に公布されら新道路法で国道番号がつけられるようになったからだそうです。

今では、国道2号線を「二国」と呼んでいる人もいますが、昔は43号線が「にこく」だったんですねー。感慨深いです。

さいごに

国道43号線は騒音対策など最新の技術が導入されているようです。詳しくは甲子園球場の国道43号線の高架下の壁に書かれていますので気になった方は見てくださいね。

「国道43号線歴史写真館」の地図はここ↓

2 件のコメント

  • 昔々 西宮では小学校連合体育大会?なるものがありました。中学校もありました。小学校5年から中学校3年までの市内の小学校生・中学校生が一同に集まり運動会をしてました。小・中は別の日でした。開催場所は甲子園球場でありました。私は小学校5年の時初めて参加しました。昭和36年のことです。通ってた小学校に集合し、阪急電車で今津まで行きそこから工事中の後の43号線を歩いて甲子園まで歩いたのを覚えています。工事中とは言ってもほとんどほったらかしで真ん中を歩いたのでした。懐かしいなぁ!