元プロ野球選手であり、阪神タイガースのレジェンドとして知られる吉田義男さんが、2月3日午前5時16分、兵庫県西宮市の病院で脳梗塞のために亡くなりました。
野球界で数々の功績が多い吉田義男さんですが、最近でも西宮市内でいろんなところでご活躍されていました。西宮でどのようなことをされていたか、ほんの一部ですが紹介します。
2011年11月10日
建て替え前の西宮商工会覚えていますか?その西宮商工会感で講演をされていました。
1985年の阪神優勝時の采配で「バース・掛布・岡田の3連発ばかり取り上げられますが、あの試合はアップアップで6対5で辛勝だったんです」 と語っていたそうです。そんな試合展開だったとは意外ですよね。ベンチェラーさんのページに書かれていました
2022年3月3日
甲子園歴史館の顧問として、甲子園歴史館リニューアルイベントでご挨拶されていました。
挨拶の中で「新しくなった甲子園歴史館に訪れていただいて、甲子園球場また甲子園歴史館を賑わせていただいて、日本の野球の文化を盛り上げていただくことを切に願っております」と大好きな野球を盛り上げて欲しい気持ちを語っていました。
2023年4月6日
西宮神社会館で開催されていた、西宮納税協会「新酒きき酒会」に参加されていました。この日は新型コロナウイルス禍の影響で4年ぶりの開催だったようです。
30年以上続く「新酒きき酒会」に参加されていたようで、「白鹿」さんの利き酒を体験してたそうです。 鏡開きもされていて、野球だけではなく、西宮の酒文化を盛り上げいただいていたこと。とってもうれしいですね。情報元は神戸新聞さん
2023年7月25日
甲子園のやっこ旅館で「卒寿を祝う会」に参加されていました。
90歳の誕生日を前に「卒寿を祝う会」が開かれたそうで、「130まで生きるため、今日帰ってから節制します」楽しいコメントを。2023年の首位を走っていた阪神に 「当たり前のことを当たり前にやり、最後にアレを達成してほしい。」とエールを送ってたそうです。情報元はスポニチさん
2024年8月1日
まだ記憶に新しい「甲子園球場100周年記念式典」で始球式にも。
(阪神タイガース提供)
甲子園100周年記念試合(阪神vs巨人)の始球式を務めていた日に、「72年間、選手・監督・解説として関わり続けた甲子園は、まさに自身の人生そのものだった」と語っています。
西宮のいろんな場所で、ユーモアたっぷりに、時には真摯に経験を語ってくださった吉田義男さん。
僕にとっては、監督としての姿が印象的です。1985年に岡田選手らを率いて球団初の日本一を成し遂げた胴上げシーンは小1くらいだったんですが、うっすらなのですが、すごい盛り上がりなことを覚えています。
そして、あの時の教え子が再び指揮を執り、2023年ついに日本一を達成しました。どんな気持ちだったんでしょうね〜。吉田義男さんの想いと功績が、今も受け継がれているんだなあと、思い返すとじーんときます。
宮っ子の野球少年たちもめっちゃ楽しく野球を頑張ってます!吉田義男さん!今まで野球を全力で広めていただき、ありがとうございました!心よりご冥福をお祈りいたします。