「ニコク」という言葉を聞いた事があるでしょうか?
山手幹線を「ヤマカン」、国道171号を「イナイチ」等と略するように、「ニコク」もある道路の略称です。
「知ってるよ、国道2号の事でしょ」と思われた方、実は「ニコク」というのは元々は国道43号の事なのです。
どういう事でしょうか?
「ニコク」って?
現在の国道2号のうち、大阪から神戸のあたりまでの道路の事を元々「阪神国道」と呼んでいました。
しかし高度経済成長期に入って阪神国道1本では物流がさばききれなくなり、昭和38年に新たに開通したのが「第二阪神国道」(現国道43号)でした。
そしてそれまで「ハンコク」と呼んでいた阪神国道に対して、第二阪神国道の事を「ニコク」と呼ぶようになったのです。
第二阪神国道についての詳細についてはこちらをご覧下さい↓
「ニコク」の陸橋
「ニコクの陸橋」「ニコクの歩道橋」という言葉が耳に残っている方も多いかも知れません。
現在でも国道43号には陸橋が多いですよね。
一部をご紹介します。
こうして改めて見てみるとやっぱり多いですね。
何故なんでしょう。
阪神国道は最初に道があってその周りに町が発展していったのですが、第二阪神国道は町の中に道を通した為、町が南北で分断される事になってしまいました。
小学校や幼稚園の通学や通園も第二阪神国道を渡らなければならなくなった為、学校の近くに陸橋を設置したらこんなに多くなったという訳です。
今でも国道2号をまたぐ小学校区はあまりありませんが、国道43号をまたぐ小学校区はたくさんありますよね。
(出典:MapExpert)
西宮の南部に昔から住んでいる方は「ニコクの陸橋」を渡って小学校や幼稚園に通っていたのではないでしょうか。
「阪神国道」の名残
今は阪神国道と言う名前は使われていませんが、どこかに名残が残っていないか調べてみました。
阪急「阪神国道」駅
まずはやはりこちらでしょうか↓
阪急の駅なのに「阪神国道」という珍しい駅です。
今まともに「阪神国道」の名前が残っているのはここくらいではないでしょうか。
阪神国道線
以前、阪神国道には「阪神国道線」という路面電車が走っていました。
こちら↓
(出典:Wikipedia)
「チンチン電車」という愛称で親しまれていましたので、そちらの名前で記憶にある方もいらっしゃるかも知れません。
国道2号の中央には今でも広めの植え込みがありますが、そこは元々路面電車の線路があった場所です。
他にもチンチン電車の名残がどこかにないか探してみましたが、国道2号はだいぶ新しくなっていて見つかりませんでした。
しかし、阪神国道線の甲子園線(上甲子園~浜甲子園)が通っていた甲子園筋で、いくつかの名残を何とか見つけました。
こちらは国道43号と甲子園筋が交差する高架です。
この高架を良く見てみると……
このようなフックが残っています。
これは実は路面電車の架線が下げられていたフックなんですよ。
こちらは現在の甲子園筋の風景です。
右には甲子園球場が、左にはららぽーとがあります。
この道に以前は路面電車が走っていました。
この歩道の植え込みの中に路面電車の名残が残っていました。
こちらです。
これは路面電車の架線柱の跡だと思われます。
このまま南に進むと、甲子園線の終点だった「浜甲子園」に着きます。
こちらです。
目の前になぞの金網がありますが、ここが元々路面電車のホームがあった場所です。
廃止になった後に金網で囲まれ、その後ホームが撤去されたので金網だけが残っています。
何だか寂しい感じもしますね。
こんな感じになっています。
当時の様子はこちら↓
(出典:津島軽便堂写真館)
最後に
同じ道や風景でも世代や年代によって印象がずいぶん違いますね。
それだけすごいスピードで発展してきたということでしょうか。
これからの西宮はどうなっていくんでしょう。
楽しみでもあり不安でもあります。
それでは最後に皆さんに伺ってみたいと思います。