江戸時代、京都から下関を結ぶ「西国街道」という道があり、その西国街道は西宮市内を通っていました。
当時、武庫川には橋が無かったので、街道途中の武庫川を渡る時には「渡し」という船を使っていました。
その「渡し」があった場所には今も立て札が残されています。
ここがその場所です。
今は全く面影は無いですね。
ここにぽつんとこのような立て札が立っています。
ここの「渡し」は通称「髭の渡し」と呼ばれていて、髭の老人が対岸(尼崎側)にあったお茶屋さんを営んでいた事からそう呼ばれていたと書かれています。
この立て札の向こうの、このあたりに「渡し」の船着場があったのでしょうか。
今はこんな感じになっていますよ。
この場所から西宮側を見ると、ちょうど報徳学園が見えます。
ここが西宮の西国街道の出発点という事になります。