先日記事にしましたが、鳴尾支所には「鳴尾小学校」と「鳴尾村役場」跡の石碑があります。
これを見ていてふと思ったのですが、なぜ小学校と役場の跡地が同じ場所なのでしょうか。
両方ともこの場所にあったのでしょうか。
それとも石碑だけがこの場所に建てられたのでしょうか(石碑が別の場所にある事はよくあります)。
気になったので調べてみる事にしました。
「鳴尾小学校」の創立
明治5年8月に学制が発布された後、西宮では直後の12月に最初の小学校である「浜脇小学校」が創立されました。
そしてその翌年の明治6年に現在の西宮市内に多くの小学校が創立され、鳴尾村には「鳴尾小学校」が、上田新田村には「上田洲先小学校」が創立されました。
上田洲先小学校は明治19年に鳴尾小学校(当時は鳴尾尋常小学校)と併合されましたが、上田洲先小学校の名前が残っている石碑が今でも上田中町に残っています。
学制発布当時の小学校はお寺の中などに作られたところが多いようですが、鳴尾小学校も最初は西方寺を仮校舎として創立されたそうです。
こちらが現在の西方寺です。
今は幼稚園が併設されています。
「鳴尾小学校」の移転
「鳴尾村誌」に鳴尾村の歴史が記載されていますので、年表を確認してみました。
ここには明治18年に鳴尾小学校の独立校舎完成と書かれています(「公舎」と書かれていますが、おそらく「校舎」の間違いと思われます)。
この年に今の鳴尾支所の場所に校舎が完成し、翌19年に鳴尾小学校と上田洲先小学校が併合されて移転したのでしょう。
その後、昭和5年に当時の鳴尾村長である辰馬半右衛門さんが土地を提供して、鳴尾小学校が現在の場所に移転しました。
実は明治18年〜昭和5年までの旧鳴尾小学校の門柱が今でも残されています。
こちらの「中津墓地」の門柱に旧鳴尾小学校の門柱が流用されています。
門柱の裏を見てみると「昭和6年7月」と刻まれていますので、移転時期も年表と一致していますね。
近代「鳴尾村」の成立
明治22年に町村制が施行され、上田新田村、小松村、小曽根村が鳴尾村と併合して新しい鳴尾村が成立しました。
「鳴尾会館(鳴尾村役場)」の完成
鳴尾小学校が現在の場所に移転した翌年の昭和6年に、鳴尾小学校跡地に後に鳴尾村役場となる「鳴尾会館」が建設されました(現在の「なるお会館」とは別)。
しかし前述のように鳴尾村は明治22年に出来ていますので、村役場も明治22年に出来ているはずです。
明治22年〜昭和5年までの村役場はどこにあったのでしょうか。
残念ながら「鳴尾村誌」にも記載が無く、他にも調べてみましたが正確な事は分かりませんでした。
現在の「鳴尾小学校」
昭和26年に鳴尾村が西宮市に編入され、鳴尾小学校は「西宮市立鳴尾小学校」となりました。
こちらが現在の鳴尾小学校です。
現在の校舎は平成3年に完成しました。
とても新しくてきれいな校舎ですね。
3年後の2023年には創立150周年を迎える、歴史の長い小学校です。
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