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松下幸之助が建てた公民館【松下記念ホール・夙川公民館】

だぁ@にしつー

夙川エリアで印象的な風景といえばやはりカトリック教会だと思いますが、この「夙川公民館」も意外と印象的なのではないでしょうか。

まるで池の上に浮かんでいるように見えるこの公民館、実はあの松下幸之助が作ったんですよ。

松下記念ホール・夙川公民館

こちらが夙川公民館です。

池の上に建ってますね。

こちらが公民館の正面です。

こちらに大きく「西宮市立夙川公民館」と書いてあります。

その横には「松下記念ホール」と書いてありますね。

どっちなのでしょうか。

戦後しばらくして西宮市は社会教育を充実させるために公民館を各地域に建設する計画を立てました。

その頃西宮に住んでいた松下電器の創業者「松下幸之助」は、西宮に対する恩返しという意味合いでこの建物を建設し西宮市に寄贈しました。

松下幸之助は当初、この建物をコンサートホールとして建設したと言われています(松下記念ホールという名前を付けたのが本人かどうかは分かりませんが)。

しかし、寄贈された西宮市はこの建物を公民館として使う事にした為「夙川公民館」という名前になり、この建物には名前が二つ付いているのです。

館内図をご覧下さい↓

(出典:西宮市

見て頂いて分かるように、公民館としては少し不思議な建物ですが、コンサートホールだと思えば合点がいくと思います。

当初想定していたのは、1階の事務所はホールの事務所兼チケット売り場、第2集会室はホール付属の喫茶店、2階の和室や集会室はホールの楽屋だったわけです。

耐震工事をする時に1階のホールを無くそうかという話もあったそうですが、やはりこのままが良いという事になりホールを壊さずに耐震工事を進めたそうです。

平成27年にはホールがリニューアルされ、音響・照明設備が新しくなっていますよ。

片鉾池と香櫨園遊園地

さて、夙川公民館が建っている池ですが、「片鉾池」という名前の池です。

こちら↓

片鉾池も地元の方に長年愛されていますが、この池実は関西で最初のウォーターシュート(急流すべり)が設置されていた池として知られています。

(出典:神戸のタウン誌ー月刊神戸っ子

明治時代、今の阪急夙川駅の南の辺りには「香櫨園遊園地」という遊園地がありました。

遊園地を作った商人、「香野蔵治」と「櫨山喜一」の頭文字を取って「香櫨園遊園地」という名前になったそうです。

ウォーターシュート以外にもメリーゴーランドや動物園など、当時としては珍しい施設がたくさんあった遊園地でしたが、客足が延びず6年くらいで閉園してしまいました。

当時はまだ阪急電鉄が阪神間に開通していなかった為、最寄り駅は阪神電鉄という事になり、阪神電鉄に「香櫨園」(当時は「香枦園」)という駅が出来ました。

現在は香櫨園エリアというと夙川沿いの南の方を指すと思いますが、名前の由来となった香櫨園遊園地はもう少し北の夙川エリアにあったんですね。

香櫨園についてはまたいつか詳しく記事にしてみたいと思います。

「夙川公園」か「片鉾公園」か

夙川公民館(片鉾池)の周辺には公園があって、私が子どもの頃はその公園を「夙川公園」と呼んでいました。

また、夙川沿いも南北にずっと公園になっていて、そこも「夙川公園」と呼ばれていました。

最近、近隣の幼稚園や小学校ではこの二つを区別する為か、片鉾池の周りの公園を「片鉾公園」と表記しているみたいです。

「夙川公園」か「片鉾公園」か、どっちが正しいのでしょうか。

実はこれ、どっちも正しくありません。

夙川沿いの公園も片鉾池の周りの公園も、正式には「夙川河川敷緑地」という名称なんですよ。

さいごに

今の夙川エリアは小林一三が敷設した阪急電鉄が中心になって発展して来ましたが、実は香櫨園遊園地の破綻が引き金となって小林一三が銀行員から鉄道会社に転身したという説があります。

様々な商人や実業家の手によって発展してきた夙川エリアを見続けてきた片鉾池の上に松下幸之助が建てた公民館があるというのも、何だかロマンを感じますね。