最近は私の地元夙川の話題を中心に記事にしていますが、今回は「夙川小学校」の校歌について書いてみたいと思います。
とりあえず歌詞をご覧下さい。
夙川小学校校歌
一、
武庫の山脈(やまなみ) 武庫の海
海山秀ず 西宮
此処に鍛うる 我等こそ
その秀麗を 身にしめて
強く正しく 伸びゆかん
二、
蛭子(ひるこ)の神の 昔より
歴史は長し 西宮
此処に勤しむ 我等こそ
その伝統を 受け継ぎて
更に一歩を 先んぜん
おお祖国 祖国の愛児
作曲:永井幸次
作詞:薄田泣菫
こちらです、意味分かりますか?
私も小学生の頃は意味が分からないままとりあえず歌っていました。
大人になってから何とか意味が理解できるようになったのですが、大人が見ても難解な歌詞ですよね。
作詞の薄田泣菫(すすきだきゅうきん)は戦前に活躍し、与謝野晶子などにも多大な影響を与えた有名な詩人です。
一時期西宮に住んでいたそうで、その時に夙川小学校の校歌を作詞しました。
作曲の永井幸次は現在の大阪音楽大学を設立した音楽教育者ですので、この校歌は実はすごいコンビで作られているのです。
西宮では夙川小学校の他に安井小学校の校歌もこのコンビで作られていますが、歌詞はここまで難解ではありません(それでも難しいと思いますが)。
実はこの歌詞には西宮を語る上で大切な事がいくつか書かれていますので、少し読み解いていきたいと思います。
武庫の山脈・武庫の海
この歌詞に出てくる「武庫の山脈」というのは、現在の「六甲山」の事です。
今の西宮の辺りは元々「武庫(むこ)」という地域でした。
なぜ「武庫」という地名になったかについては諸説あって確実な事は分かりませんが、大和地方から大阪湾を隔てて「向こうの方」にあるからという説と、神功皇后が三韓出兵の後に武器を埋めた事が由来という説が有力なようです。
この「むこ」という地名に「武庫」「務古」「牟古」「六兒」「無古」などの様々な字があてられ、その一つが「六甲」でした。
「むこやま」→「武庫山」「六甲山」から現在の「六甲山(ろっこうさん)」となった訳です。
そして「武庫の海」は言うまでも無く現在の大阪湾の辺りの海の事です。
「茅渟の海(ちぬのうみ)」「茅渟の浦(ちぬのうら)」「茅渟の浦曲(ちぬのうらわ)」なども同じ海の事を指しています。
阪神間の学校の校歌には「武庫の川」「武庫の海」「武庫の平野」「茅渟の海」「茅渟の浦」「六甲山」「六甲の峰」などがよく出てくると思いますが、たまに「武庫の山」が出てきたり、「六甲の山」と書いて「むこのやま」と読んだりする歌詞があると思います。
皆さんの学校の校歌はどうでしょうか?
蛭子(ひるこ)の神
蛭子(ひるこ・ヒルコ)というのは古事記や日本書紀の「国産み」に登場する神様の名前です。
「国産み」というのはイザナギとイザナミが日本の色んな島を産んでいくという話なのですが、実は一番最初に産まれたのがこの「蛭子(ヒルコ)」だったと言われています。
しかし、この「蛭子(ヒルコ)」と次に産まれた「淡島(アハシマ)」は不完全で産まれた為、イザナギ・イザナミの子どもとしてカウントされていません。
そして「蛭子(ヒルコ)」は産まれてすぐに船に乗せられて海に流されてしまいます。
その「蛭子(ヒルコ)」が漂着したのが現在の西宮の海で、それを祀ったのが「西宮神社」の発祥だと言われています(蛭子が漂着したという伝説は全国各地にありますが)。
「蛭子」という字は「えびす」とも読みますので、「えべっさん」と「ヒルコ」が同一だという説がある一方で、同一ではないという説もあるそうで、はっきりしたことは分かっていません。
いずれにしても、「蛭子の神の昔より、歴史は長し西宮」という校歌の歌詞をそのまま読むと、「西宮の歴史は日本の歴史より長い」とも読める訳ですから(それはさすがに言い過ぎだとは思いますが)、やっぱり壮大なスケールの歌詞だと思います。
「その伝統を受け継ぎて、更に一歩を先んぜん」ですから、究極の「温故知新」を目指しましょうという事ですね。
さいごに
この校歌は夙川のみならず、豊かな自然に恵まれ、歴史と伝統がある西宮という町で育った子どもたちに未来を切り開いていって欲しいという願いが込められていると思います。
校歌なんて子どもの頃には意味も分からず歌っていましたが、大人になってから振り返ってみるのも新しい学びがあって良いかもしれませんね。